蔵馬夢短編

□Morning of the day
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「うー…んん…」

ふわりと意識が浮上した。
ぬるま湯のような微睡みの中、あまりに居心地の良い温かさに包まれている。ふかふかの寝具は季節を問わず、人をダメにする魅惑的な存在だ。

…ぎゅむっ

「おはよ」

良い体勢を探りモゾモゾと寝返りを打った時だった。柔らかな敷布よりもうんと温かな腕が後ろから伸びてきて、私を引き寄せた。

「おはよう…起きてたの?」
「少し前に」

起き抜けの掠れ声をしていないそのひとの、肩を抱き寄せてくる腕に触れながら、顔だけ後ろに向けてみる。
普段は凛々しい彼、蔵馬の、少し乱れた髪が視界に入った。
いつ見ても本当に綺麗なひとだ。

「今何時?」
「六時くらい…かな?」
「あ。もうそんななのね」

私の質問に、枕元に転がるスマホで時刻を確認したらしい蔵馬が答えてくれた。
平日ならばもう起きて、二人分のお弁当や出勤の支度を始めてる時間帯だけど。今日は折しも週末、堂々と惰眠を貪れる土曜日の朝。…なのだけど。

「…どこ行くんですか?」
「?朝ごはんでも用意しようかなぁと」

大事な予定が控えている本日は、生憎とそんな暇は微塵もないのだ。早めに起きて、支度をしなくてはならない。
そう自分を叱咤して蔵馬の緩い腕の拘束を解き、体を起こせば。何やら不満げな声と共に腕を掴まれてしまった。

「まだいいから、もう少しここに居て。ね?」
「でもそろそろ起きないと。今日遅刻したら幽助達に何言われるか分かんないよ?」
「じゃあ、あと五分」
「蔵馬ぁー?」

いつになく食い下がってくるベッドの共住者に、思わず笑みが溢れてしまう。このやり取りには覚えがあるから。立場は逆で、普段は私がうだうだしたがるのだが。

「朝食は後で俺が用意するから。はい戻って戻って」
「え、ちょっ…わわっ」

寝そべったままの蔵馬に掴まれた腕を引かれると、私の体は簡単に寄せられてゆく。崩れた体勢は重力に従ってポスンと落ちた。

「おかえり」
「た、ただいま…?」

仰向けに横になる彼の上、まるで私が蔵馬を押し倒しでもしているかのような絵面になっている。
着痩せして見える蔵馬の体は、薄くもしっかりとした筋肉が張っていて。こうして服を纏わない上半身を眺めると、やはり逞しいのだなと改めて実感してしまう。

「ここ暫く忙しかったから、名前不足なんですよ。俺」
「よく言うわ…昨日…散々…」
「へぇ?散々、何?」
「…」

しまった、自分から揶揄われるネタを撒いてしまった。そう思ってももう遅い。私の眼下では、それはそれは愉快そうに微笑む蔵馬の整った顔がある。腹の立つことだ。

昨日、散々…。
私にその先を言わせたいの?このいじめっ子め。

「あ…やぅっ、」
「昨日散々…、何だろうね。答えてみてよ」

静かに私の腰に添えられていただけの手が、明らかなる意思を持って肌の上を這い回り出す。
羽織っただけの私にはオーバーサイズのシャツの下、腰のくびれに沿って脇腹に流れ、もう片手は背面をたどり肩甲骨の辺りへ。
そのどれもが、私が弱い箇所であると知っての不埒な手の動かし方だ。

「この“彼シャツ”ってやつさ、なんかいいよね。キミは俺のモノって感じがして」
「んぅ…蔵馬…ほんと、遅れちゃうから…」
「本当に五分だけだから」
「ほんとに?」
「勿論」

昨日…というか昨夜、自分で「風邪引くから」と言って着せてきたその衣類を、今度はゆっくり脱がせながら至極楽しそうに蔵馬は言った。

「五分間俺の好きにさせてくれたら、開放してあげるよ」
「…へ?」

その瞬間、グルンと視界が回転して体にかかる重力に変動が起きる。
今し方まで見下ろしていたはずの翡翠の両眼は、瞬く間に上から私を見下ろすようになり、抗議を吐く為開かれた口は塞がれてしまった。

それだけのことで、ほんの数時間前まで交わしていた熱を思い出してしまう私は、浅ましいのだろうか。

「…ん」

艶めいた喉からの喘ぎはどちらのものか、定かではない。
一見麗しい麗人を思わす綺麗な蔵馬。でもその内面は驚く程に勇ましく、欲を煽る舌も手先も巧みなもの。

そんな相手と、互いに殆ど半裸の状態でくっついての五分間ディープキス耐久レースだなんて。とことん私の精神の息の根を止めにきているとしか思えない。

「…あ、もう五分間経っちゃった。名前、俺朝食用意してくるから…あれ?」

閉ざされた瞼が持ち上がり、手探りで探し当てた端末で時間を確認してから、なんて事ない様子で顔が離れて話しかけられる。

「……」
「大丈夫?」
「な、訳ないでしょ…っ」
「そろそろこういうの慣れてくれないと」
「永遠に慣れる気がしないっ」

私の欲求スイッチをガンガンに押しまくっておいて、自分はさっさと起床モードに切り替えさせてしまったらしい。
息を上がらせてしまった私はどうしたらいいのよ、ねえ。

「欲しくなっちゃった?」
「セクハラ〜」
「…また夜ね」

蔵馬は私の非難なんて何処吹く風と言った様子だ。
今度はちゅっと私のおでこに触れるだけのキスを落とすと、ベッドから出てキッチンへと向かって行ってしまった。

やがて薫ってくるコーヒーとトーストの香りに誘われるまま、自分もシーツから這い出て追いかけてゆく。

「今日はよろしくね、名前」 

そこにはいつの間にかもうTシャツを着た蔵馬が居て、コーヒーを渡しながらそう告げてきた。

何も言わなくてももう自然とそのように淹れてくれる、私の好みに合わせたミルク多めで無糖のホットコーヒーは優しく私の胃を満たす。

「こちらこそよろしく」

私がそう返すと、目の前の蔵馬は穏やかに微笑んだのだった。
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