小説

□鳶の声
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 あれはまだ、年端もいかぬ頃であったと思います。界隈に住む子供は他に六つ上の彼女だけで、私はいつも姉や姉やと呼んでは無邪気に後を付いて回っておりました。今にして思えば遊び仲間のいない私のことを可愛そうに思っただけのことだったのでしょう。それでも、いつ訪ねていっても嫌な顔一つせず相手してくれる彼女のことが、私は好きでなりませんでした。
 界隈に子供がいないとは言っても、少し足をのばせば遊び仲間を見つけるのはさほど難しいことではありません。とはいえ幼かった私には、その「少し」が随分と遠くに感じられたものです。そうしてまだ自と他の区別がようやっとつきかけてきた頃でしたので、彼女にとってもまた、「少し」は遠いものだと信じて疑っておりませんでした。
「姉や姉や」
 その日もいつものように彼女を訪ねていきました。学校を終えて帰ってくる時間を私はほとんど正確に把握しておりましたから、書き方の宿題をよいところで切り上げると、母の出しておいてくれた蜜柑を掴んで家を飛び出します。そうするときまって彼女の家の前で、帰ってきたところにはち合わせるのです。
「すごいなあ、今日もぴったりやわ」
「せやろ。今日は蜜柑持ってきた。ほんまはお饅頭もあったけど、おかあがこけたらあかんから蜜柑にしいやて」
「それで蜜柑にしたん? 偉いなあ」
「うん。書き方の宿題もやってんで」
 そう言ってつっと頭を前に出すと、いつも偉い偉いと撫でてくれたものです。彼女の手は、大きさはさほど変わるようにも見えないのに、ずんぐりした私の手とは違って色は白く指も細く、昔一度だけ見たお人形の手のようでした。
「ほな、なにして遊ぼうか」
 私の抱える蜜柑をいくつか引き受けると、いつものように手を引いて家の中へ招き入れてくれました。靴の脱ぎ方ひとつとっても彼女の動きには趣があって美しく、それがあんまり自分と違ったものですから、いつだったか「姉やは綺麗やなあ」と口に出したことがありました。そうすると彼女はやんわりと私の言を否定するのですが、その様子に少しも驕ったところがありません。ですから私は一層、彼女のことを好きにならずにはおれなかったのです。
 家の中でひとしきり遊んで、それではおやつにしようかという頃合いでした。玄関口が俄かに騒がしくなると人を呼ぶ声がします。私たちふたりは顔を見合わせて、それから彼女が立ち上がりました。

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