里中が甘い香りに包まれた本日2月14日。
イルカもその例に漏れず小振りの紙袋を抱え、自宅アパートの前で2階にある自室の窓を見上げた。
(あの上忍…また来てやがる)
袋の中身は勿論チョコレート。
但し全てアカデミーの教え子や同僚から貰った、所謂義理と名の付くものだ。
この年にして本命チョコの一つも貰えない不甲斐無さには正直空しさを感じるがそれには列記とした理由が存在する。
―そう、最大にして最悪の理由が。
□■ トロケル オモイ。 ■□
「…ただいま帰りました」
「おかえんなさーい」
本来誰も居ない筈の部屋の奥からおかえりなさいと声が返る。
イルカはその声の主が脱ぎ散らかしていたサンダルを自分のものと併せて揃えると、居間へと続くドアを開けた。
「え?」
部屋中に溢れる、むせ返るほどの甘ったるい香り。
どうやらそれはコタツの上でアルコールランプにかけられている赤い小鍋から発せられている様だ。
この甘い匂いは今日一日里のそこかしこで漂っていたモノと同じで。
「ちょこ、れいと…?」
「ピンポーン正解でーっす」
何故か誇らしげな表情を浮かべ、イルカが本命チョコを貰えない元凶であるその人物が台所から顔を覗かせた。
「カカシさん…コレは一体?」
そんなカカシとは対照的に眉を潜めたイルカが訝しげに尋ねる。
小鍋で温められているのはチョコレートに間違い無いだろう。
和風なコタツと洋風な赤いそれのコントラストは些か不釣合いな感が否めないのだが、それはまず置いといて。
問題は、今日という日(バレンタインデー)にこんなモノ(チョコレート)を持ち出してきたこの人物の魂胆について、だ。
「チョコに決まってるじゃありませんか。何に見えるっていうんです?」
「それ位分かりますよッ!一体どういう積もりなのかって聞いてんですッ!!」
何時もは眠そうな瞳をきょとりと回して、カカシは不思議そうにイルカを見つめ小首を傾げた。
「今日はバレンタインですよ?」
「それも知ってます!だから何でアンタがチョコレートなんか溶かしてんですかッ?!しかも俺の家でッ!!」
「えー…だってさ」
だってもクソもあるかっ
相変わらず室内はチョコレートの甘やかな香りに包まれている。
カカシはその手に色とりどりのフルーツやマシュマロが乗せられたトレーを持っていた。
多分、この蕩けたチョコレートに潜らせて食すのだろう。
美味そうである。
甘いモノ好きなイルカにとって実に魅力的なシロモノだ。
これが可愛らしい女の子によって行われた事であるならば何の問題も無いのだが。
如何せん、相手はあのはたけカカシなのだ。
「イルカせんせ、スキでしょ?こーいうの」
「すっ、好きなのは間違いありませんが、そういう事じゃなくてですねっ」
「バレンタインなんだからスキなヒトにチョコをあげる。別にフシギなコトじゃナイじゃない」
「う…ッ」
何時もこうなのだ。
この男は、はたけカカシは。
「またそうやって冗談ばっかりっ!ヒトをからかうのもいい加減にして下さいッ」
何時もこうやって、イルカの心を弄ぶのだ。
アカデミーで会えば抱きつかれ、受付で顔を合わせれば熱っぽく手を握られる。
合鍵を渡した覚えもないのに勝手に自宅へ上がり込み、夕餉を共にすると帰っていく。
『イルカせんせースキスキスキッ』
そこに誰が居ようとお構いなく、口先だけの好意を撒き散らして。
どんなにイルカが迷惑がっていても周りの者達は何時もの事だと取り合ってもくれない。
「ジョーダン?」
「そうですよっアンタのその冗談のせいで俺は本命チョコも貰えやしないっ」
「そりゃそーでしょうね」
カカシは持っていたプレートをコタツに置きイルカの方へと視線を投げた。
その視線は何時に無く真剣で、先程までのおちゃらけた雰囲気は欠片もない。
「今まで散々アンタは俺のモンだって主張してきたんだ。俺と張り合ってアンタにチョコ贈るような勇気のある奴はそーいないデショ」
「……へ?」
「ま、居たとしても負ける気は更々ナイけど、ネ」
カカシはニコリと微笑むと手にしたフォークにイチゴを突き刺す。
ソレに蕩けたチョコレートをたっぷりと絡め、イルカの顔前に差し出した。
「はい、イルカせんせ」
「あ、どうも」
条件反射で思わず一口にやってしまった。
口内では甘酸っぱいイチゴとまろやかなチョコレートの甘さがこの上なく幸せなハーモニーを奏でている。
「どう?オイシイですか?」
口をもぐもぐさせながら頷くと、カカシも満足げな笑みを零す。
その笑顔はまるで恋人を見詰めるかの様に優しくて胸の鼓動がどくんと跳ねた。
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