Log

□甘い菓子
37ページ/48ページ


▽7/16
【Bon appetit?】



美味しそうな匂いにつられるように、玄関からそのままキッチンへ向かう。

「あ、おかえりー」

振り返った彼女は、青いエプロンを着ていた。
思わず俺はただいま、と言ってしまいそうになったのを堪える。

「それを言うなら『いらっしゃい』だろ。俺んちじゃねーし」
「もう、細かいこと言わないの」

全然細かくねぇよ。
内心反論しながらネクタイを緩める。

「お前がそこに立つの、大分久しぶりじゃないか?」
「言われてみればそうかも」
「で、またカレーなわけか」
「うん」

こいつは本当にめんどくさがりなので、料理なんて滅多にしない。
ここのキッチンに立った回数は俺の方が断然多いくらいだ。
しかも、作るものは毎回決まったものだけ。

「ゆーすけも食べてくでしょ?」
「…………」
「それとも、やっぱ打ち合わせだけして帰っちゃう?」
「あ、いや、食べてく」

少し反応が遅れてしまったけど、彼女は気にせず「そっか」と鍋をかき混ぜながらにっこり笑った。

くつくつとルーの煮詰まる音。
飢えた腹を刺激するスパイスの香り。
プラス、好きな人。

「……断る理由なんてねーよなぁ」
「何か言った?」
「作りすぎなんじゃねーのって言ったんだ!」

何ムキになってんだよ……、落ち着け落ち着け。

「ふっふっふっ」
「気持ち悪いな」
「心配ご無用!」

俺の気持ち悪いは無視してびしっとこちらを指差して言う。

「ちゃーんと考えてあるのよ」

ミステリ作家は不敵に口角を上げた。



翌日。

「さぁ召し上がれっ」

考えってこれかよ。
半分呆れながら、俺は二日連続のカレーを一口頬張った。
うま。

「いや〜、感激です!」

新人編集の瀬戸が満面の笑みでそんなことを叫んだ。

「まさか超売れっ子作家さんのめっちゃ美味しい手作りカレーが食べれるなんて!ほんと嬉しいです!」
「いやーんっ。絶世美人だなんて褒め過ぎよっ!」
「誰もそこまで言ってねえよ」

べしっと後頭部を叩くと、

「心の声が聞こえたの!」
「お前はエスパーか」
「絶対可憐ノベリストって呼んでいいよ☆」

なんて馬鹿なこと言い出したのでもう一発叩いておいた。
本格ミステリを専門とする今や超有名の女流作家がどんなやつか知らなかった編集は多いが、おそらくこのやりとりで理想像は崩れただろう。
世の中そんなに甘くない。

「あっ、編集長さん!」
「どうも、お久しぶりです。わざわざ本社に持ってきてくださってありがとうございます」
「いえいえ!たくさん召し上がってください!」

それから、一言つけたす。

「増版もよろしくお願いしますね」

こすいな、おい。
結局そっちが目的か。
何も言わず爽やかに去っていった編集長も編集長だけど。

「いいなぁー、久保さん」
「何が」
「あんな素敵な作家の担当してて。羨ましいっす」

瀬戸は「次の移動で彼女の担当になんねーかな」とカレーを頬張りながら呟いた。
――だから嫌なんだ。

「帰るぞ」
「もう?」
「打ち合わせ終わってねーんだから」
「あー、忘れてた」
「じゃあ片付けは瀬戸に任せた」
「まじっすか!!」

すっかり空になった鍋を持って、早足に編集部を立ち去る。
その後を彼女が追いかけてくるのが分かった。

「そんなに急がなくてもいーじゃん」
「これからはあんま作りすぎんなよ」
「え?」

とにかく歩き続けると、後ろの彼女は納得したように「あぁ」と頷いた。

「私の絶品カレー、他の人に食べられるのが嫌なんだ」
「ちげぇよ」
「嘘だぁ、図星でしょ?ねぇねぇ」
「違うって言ってんだろ」
「素直じゃないんだからー」

じと目で見てくる彼女に悪かったな、と心の中でだけ応えておく。

どうせお前の彼氏は、素直じゃない上に嫉妬深い男ですよ。





――――――――――――――

3回書いてやっと名前が出てくるうちのこ達です。
不憫とか言っちゃ駄目()



よかったら拍手をどうぞ...



.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ