キリ番

□ScoRe
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▽900hit(烏丸離一様)



この曲の楽譜を目にするのは初めてだ。

まぁ,普段譜面に親しんでいない僕には二段組の楽譜なんてちんぷんかんぷんでしかないけどね。
ペンでの書き込みが多すぎてインクが滲んでるのも加わって,音符なんて読めたもんじゃない。

よく分からない,と素直な感想を言って楽譜を返すと,

「そんなことないよ。誰だって弾ける,簡単な曲だから」

と言った。
彼女以外の誰かが弾いたって,僕には何の意味もないのに。

すっかりボロボロになったそれを愛おしそうに見つめる彼女。
いつもはそんなものなしで完璧に弾いてしまうから,彼女自身もそれに触れるのは久しぶりなのだろう。
僕には分からなくとも,彼女目には全ての音符が映し出されているのかな。

「あ」

彼女が何かに気付いたらしい。
何,とのぞき込むと,下の方にいくつかあった丸い染みを指差した。


「――これ,君のだよ」

え?

……どういうことだ?

懐かしいなぁ,と彼女は楽しそうに笑った。

「覚えてないかな?……私が8歳くらいの時だから,もう10年以上昔の話だけど」
全く,と首を振る。
本当に記憶にない。

「君がね,これを持って私に――熱を出して寝込んでいた私に,弾いてって頼みに来たの」

彼女は明るい声で続ける。

「でもね,私の部屋に入る前に大人の人に止められて,その場で泣き出しちゃったんだってさ」

……嘘だぁ。

「信じられないって顔してるね」

はっきりと頷く。
僕,本当にそんなことしたのか?
幼い頃の行動が信じられない。

てことは,この染みは,その時の涙の跡なのか。

「信じられないって顔してるね」

また頷いてから,それで,と彼女を促す。

君はどうしたの?

「え?」


もちろん弾いたよ。


なんでもないように,そう答えた。

「だって,すっごい泣いてたんだもん。弾くしかないでしょ」

…………ごめん。
ほんとごめん。
もはや謝らざるを得ない。

「まぁ,君もまだ小さかったからね。気にしないで」

そして彼女は,楽譜を台にセットした。
静かに椅子に腰掛ける。
大きな黒い瞳が僕を見て,

「――聴いてくれる?」

僕は見て弾くの?と尋ねた。

「たまにはいいかな,って思って」

彼女は柔らかく微笑んで,なめらかな動作で鍵盤をはじき始めた。
幼い頃の僕が,泣いて頼むほど聴きたがったその曲を。



『ねぇ,もう泣かないで』


『大丈夫。弾けるから』



――あぁ,そうだ。

少し見上げた先の,大きくて綺麗な瞳。
優しい声と笑顔。
僕の涙で濡れた楽譜。

大好きな彼女の奏でるピアノソナタ。


そんな思い出を,今になって思い出すなんて。
思わず笑ってしまった。

そして一言,


「ありがとう」


と呟いた。

ピアノの音に紛れるよう,そっと,小さく。





よかったら拍手をどうぞ...



*次はあとがきです



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