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抱き着かないこと、セックスをしないこと。これは、奥村燐の恋人になる条件であり、付き合うにあたっての規則だ。恋人になったのなら当たり前の―――言わば醍醐味のようなスキンシップのふたつを禁止されて、志摩は鬱蒼としたため息を吐き出した。


「おーくーむーらくーん」
「ダメなもんはダメだから」
「ちょこっとだけですやん、ほんの十秒!」
「ダメ」


手を繋ぐ。頭を撫でる。肩を組む。キスをする。その他もろもろの、友情から逸脱した少々過度なスキンシップ。許された行為はたくさんあるけれど、どうしてこのふたつは駄目なんだろう。告白したときのことを思い出しながら、志摩は燐の肩に額を寄せる。びくりと反応されたけれど、止めろと言われることはなかった。



*****



もう授業が終わって皆帰ったというのに、志摩も燐も必死にペンを走らせていた。机の上に山積みの課題は、確か、あんまりにも二人が居眠りなんかをしていて受講態度が芳しくないと、青筋を立てたうら若き同年齢の先生が置いていったものだ。きちんと終わらせるまで帰ることは許しません、と憮然とした表情で言い放つ弟に、このときばかりは噛みつく燐も何も言えずに志摩と一緒にうなだれていた。


「あんな、奥村くん」
「なんだよ、喋る前にさっさとこれ終わらせようぜ」
「うん、そうなんやけどね…」


雪男の、逆光でもないのに光る眼鏡が怖かった。だからこれを終わらせられなかったときはもっと怖いと、しつこく名前を呼んでくる志摩を適当にあしらいながらプリントを手に取る。しかし、燐の手は紙に触れる前に志摩の暖かくて少し大きな手に掴まれしまった。


「ちょ、お前マジふざけんなよ…」
「ふざけてなんかあらしまへん」
「はあ?…もう、わかったから手ぇ離「聞いて」


稀に見せない真剣な顔と声でそう言えば、彼ははっと言葉を失う。思いきって初めから振り払っていればこんなことにはならなかったのに、なんてどこか他人事のように思いながらも、志摩は静かになった燐のまろい額をちょんと指で突く。そして、まるで花開く桔梗のように慎ましやかにふわりと笑いかけた。それは彼に、というよりも女の子にも見せたことのないような表情だった。


「奥村くん、あんね」
「………なに」
「俺な、君のこと好きなんやけど」


ぎゅう、とペンを持っていた右手も優しく包んだ。慣れない文章を書いて少し汚れた手の腹も、毎日降魔剣を振るうせいで出来た剣だこも、燐の身体だと言うだけで愛おしさが込み上げる。好きと告げた気持ちが指先から溶けて伝わればいいと、しっとりと汗ばんだ左の薬指に唇を寄せた。そこまでして、もし引かれたらどうしようかと志摩は背筋を凍らせる。彼に嫌われたらいつもみたいに笑える自信はない。恐る恐る伏せたまぶたをそっと持ち上げたら、そこには志摩の予想に反して耳の縁まで真っ赤に染めた燐が、何やら口をもごもごとさせていた。


「……から、なんだよ」
「へ…?」
「好きだから、なんなんだよ!」


ぱっと手を払って距離を取ると、燐はきっと志摩を睨みつけた。怒っているのかとも思ったのだが、よく聞けば語尾が震えていた。これは期待しても、都合が良いように勘違いしてもいいのだろうか。縮こまった身体に近づいて、志摩はもう一度両手を握る。


「奥村くん、好きです」
「おう」
「俺と付き合うてください」
「…おう」


そう言って頭を下げれば、微かな沈黙を携えて燐は小さく頷いた。可愛いな、と今度は額に唇を寄せる。赤く熱を帯びた頬とは違い、彼の手は微かに震えて汗のせいか少し冷たく感じた。



*****



あのとき、燐はちゃんと頷いて言葉を受け取ってくれたのだけれど、こうもガードが固いと志摩にも疑心が生まれてしまう。初と言えば聞こえはいいが、もしかしたら彼は自分のことが好きでないのかもしれないと。先走った恋心の末の独りよがりなのかもしれないと。今も、決して身体に腕を絡めさせてくれない燐を横目に、志摩はふと思いついたことを口にする。そこには、そうであってくれという僅かながらの願望が含まれていた。


「なあなあ、奥村くんてシたことないん?」
「はあ…!?いきなりなんだよ!」
「やって気になるんやもん…で?女の子とエッチしたことは?」
「う、あ、その、えっ、と…」


頬をかきながら苦笑い。戸惑いを含んだ、けれど答えを持っている反応。どうやら多少の経験は詰んでいるようだと、名前も顔も知らない少女に漠然とした嫉妬をしながら、志摩は「やっぱ奥村くんも男の子やんねー」と気まずい空気をごまかした。
















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